千曲万来余話その697「モーツァルト曲2台ピアノのための協奏曲、故ブレンデル94歳を回想する・・・」。
{テレビの音が高いぞ!」父親は音量が大きいことをこのように注意して音量を下げさせるのがいつもだった。今は去ること50年以上前の事、テレビでアルフレッド・ブレンデルが演奏するベートーヴェンのハンマークラフィーアソナタを視聴していた。記憶するところでは日比谷公会堂? もしかすると世田谷区民会館での初来日登場でチェコ・モラヴィア・ヴィーゼンベルク出身ウィーン派の演奏という鳴り物入りの放送で1949年ブゾーニ・コンクールで入賞したのは18歳頃だった。
2台のピアノのための協奏曲変ホ長調K365は第10番とも数えられている。おそらく多数のブレンデル演奏愛好家たちはあのイモージュン・クーパーと指揮マリナーでアカデミー室内管弦楽団のフィリップス盤1977年録音を聴かれていることだろうが盤友人としては、60年代録音ターナバウト盤ワルター・クリーンとパウル・アンゲラー指揮ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団のレコードを愛聴している。
青年ブレンデルが影響を受けたピアニストは、ルツェルン音楽祭マスタークラスを1949年から3回にわたり指導に当たっていたエドウィン・フィッシャーといわれている。ウィーン派のモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトというレパートリーが出発点であり、後年のリストからシェーンベルクに至る幅広いレパートリーはその華麗な演奏活動にふさわしい。プライヴェートでいうとウィーン拠点としていた1969年までの22年間ターニングポイントとして夫人であった陶芸家イリス・ハイマン=ゴンツァラ女史との婚姻関係解消結果とされている。70年からはフィリップス社と契約関係に入り、新たな展開が続くことになる。
1971年初来日演奏は、彼にとりウィーンからグローバルな活動の第1歩ということでありこれ以後のピアノは多数がスタインウエイ&サンズ採用というものでターナバウト盤の音色は明らかにウィーンのもの、即ちベーゼンドルファーのものである。だから、クーパーとの共演はまぎれもなくスタインウエイのよく耳にする音色、なぜかというと多数派形成の理由は大概のコンサートホールにスタインウエイ在りというまでである。レコードの悦びはその音色の違いの愉しみにあり、モーツァルトの時代1779年作曲当時の楽器はフォルテピアノであり、ハープシコードとは異なるハンマーによる弦を叩く鍵盤楽器に移行する時代で、音量の幅が以前より広く取られることになる。
第1ピアノを聴いていると明らかに克明なタッチの異なりが聞き取れて、もしやブレンデルでは? とか想像をたくましくしている。ワルター・クリーンが劣るとかそういうことでは決してなく、イーブン、対等な芸術を披露している。なにしろ中低音域の倍音の豊かさは、高音域に薫り高いスタインウエイとは味わいを異にする。
第1ピアノは左スピーカーに定位して、右スピーカーからの第2ピアノとの応答は作曲者の意向を的確に反映していてステレオ録音ならではの愉しみとなる。どういうことかというと、左右の応答はポリフォニー音楽複旋律の一段高い愉悦であり、モノーラル録音ではその愉しみが不明確でありそれは、指揮者の音楽観と録音技師のせめぎあいの一点となる。コントラバスの旋律を明確にするため、右スピーカー配置は常識であるのだが、舞台下手にコントラバス、チェロ、アルト、そして上手側に第2ヴァイオリンとする配置こそVnダブルウイングの所以であり現在は古典配置復興の時代、聴衆の一人としては両翼配置の時代復活という推移に、正に第1と第2ピアノの左右配置こそモーツァルトの世界、即ち第1と第2ヴァイオリンを束ねる配置は過去のものなのだろうと考えている。もはや「逆戻り」はありえない。右手側チェロ配置をつまり一段グレードアップしたのが古典配置なのだろう・・・