千曲万来余話その705「師走と言えば第九、けれどそれはなぜかな・・・」

 年末に番組忠臣蔵、赤穂浪士討ち入りはなぜ大入り満員になるのか ? 12月14日には全国津々浦々で義士討ち入りの弔いは、年末歳時記、日本人の「忠義」心に訴える歴史的事件である。1964年大河ドラマ第2作には大沸次郎原作、村上元三脚本「赤穂浪士」がとりあげられ、音楽担当の作曲家芥川也寸志は龍之介の三男。当時中学生前の盤友人、主役の名前はわたしの祖母 純が、小樽巡業していた彼に目を合わせたという俳優長谷川一夫その人だった。当代きっての美男子と目が合った喜びは、歌舞伎役者の「睨み」を頂く客席ならではの醍醐味同様、その体験は孫の盤友人にも伝えられたといえる。
 キタラ小ホール11/27ヨーロピアン・ジャズトリオ公演でピアノ担当マーク・ファン・ローンは演奏の進行役で、日本語も交えてホールの素晴らしさとお客様のマナーを絶賛していた。アンコールを2曲サーヴィス、退場の時 彼に「ブラボウ」声をかけて両手サムアップすると彼と目が合った。帰り際購入したCDサイン会で彼は盤友人の名前を確認し、記入して頂いた。目が合った御利益だった。
 オーケストラ第九年末公演は、いつも満席である。この「9」というナンバーは最高級の「9」である。人生総決算ともいえる最高傑作、管弦楽の音楽である交響曲に声楽をとりいれた「コラールシンフォニー」。歌詞にはシラーの「よろこびの歌」が採用されている。吉田秀和さんはこの曲をして、よろこびよ来い来い、という心の叫びと評論していた。
 オイゲン・ヨッフム指揮したLPレコードは、モノーラル1952年録音バイエルン盤とステレオ録音2種類、オランダ・フィリップス1969年盤とEMIイギリス1978年盤録音がある。米国エンジェル盤で76歳当時のヨッフム指揮したロンドン交響楽団、リチャード・ヒコックス合唱指揮したレコードは、すこぶる、優秀録音の誉れ高いLPレコード。盤友人にとり合唱の配置問題に関心は有った。というのも、ヴァーツラフ・ノイマン指揮したプラハのコーラスは、女声前列、男声後列という少数派の合唱配置なのであるが、ベートーヴェンの作曲を考慮した時にはこの少数派配置をこそ推薦したい。まず、ソプラノのうしろにバスが配置されるとき、音程はなかなか下がらないことである。バスは下がり様がないからソプラノはしっかり、高音域でも伸びやかな発声がキープされる。もう一つ、アルトが前列の上手配置というのは、第4楽章で後半、フーガの開始を印象的に歌い上げることが出来て、どういうことかというと、舞台の指揮者右手側半分を響かせるに充分な配置といえるからである。この2点から、大多数のステレオ録音SATBの配置より作曲者の意図を効果的にする合唱配置こそ前列後列女声男声の配置こそ理想である。
 このヨッフム指揮録音は4人の独唱者たちも、すこぶる、立派。克明な歌詞の発声は例えば、「楽園にて翼を広げる乙女たちのごとく」メロディーラインをまるで、あやなすころもの如く披露している。これは、指揮者ヨッフムの意図を表現したソリスト達の芸術的メリットであろう。格の違いを見せつけられるがごとくである。
 オイゲン・ヨッフム指揮芸術は、しなやかなオーケストラ演奏のメロディーラインに現われていて、音楽という合奏能力の最高度の緊張感を克服した、自由で、平安の境地すなわち、音楽会の司祭としての至高の指揮者を体現した稀有な芸術家である。
 大団円のフィナーレで打楽器のシンバル、トライアングル、ティンパニー、大太鼓これらのアンサンブルは楽園の炎、燃え上がれ歓喜の炎よという作曲者の究極の管弦、打楽の管弦打楽法の境地であり、オーケストラ音楽の醍醐味は、声楽陣とのアンサンブル一体感こそのみならず、聴衆による歓喜により理想郷といえるかなあ・・・