千曲盤来余話その57「乙未ひつじどしの歳神さま、快調でも油断禁物」

音楽の楽しみは万事に渡る。その基本は、オーケストラ音楽でも、演奏者の歌心に寄るところが大きい。
たとえば、ブルーノ・ワルター指揮したコロムビア交響楽団、実体はロスアンジェルス・フィルハーモニーオーケストラともいわれているところの1959年頃の録音。
モーツァルトのジュピター交響曲など、滋味にとみ演奏者の歌心に溢れていて、聴き手の心をとらえて放さない。
よく聴いていると、左スピーカーからヴァイオリンの旋律が聞こえていて、右スピーカーからは、チェロ、コントラバスが旋律を奏でていて、中央にアルトが聞こえている。
左右は外声部で、中央に内声部がサンドイッチされているわけだ。
ところが、オットー・クレンペラーの指揮するフィルハーモニア管弦楽団1962年頃、ラファエル・クーベリク指揮したバイエルン放送交響楽団1980年録音のモーツァルトのジュピター交響曲を聴くと、聞こえ方は異なっている。左に第一Vnが聞こえるのは共通しているけれど、右スピーカーからは、第二Vnやアルトが聞こえてくる。
すなわち、右スピーカーからは、低音ではなくて、第二ヴァイオリンが聞こえてくるところに特徴がある。
1989年頃録音された、ジェイムズ・レヴァイン指揮したウィーン・フィルのジュピター交響曲ハ長調K551も、内声部は右スピーカーから聞こえてくる。
その心は、作曲者のステレオ観ではないであろうか?第一ヴァイオリンはステージ左手側、第二Vnは、舞台右手側の音楽ではないであろうか?というわけだ。
1955年頃からのステレオ録音、惜しむらくは、右手側に低音部を対立声部としたことにある。作曲者の世界は、内声部ではなかっであろうか、というのが盤友人の感性である。
東南東の星空には、冬の大三角形、赤星ベテルギウス、オリオン座の頭、その下方には青白いシリウス、その左手側には、東方にプロキオンが輝いている。ジュピター木星はその東に姿を現している。気宇壮大なステレオ録音世界なのである。