千曲万来余話その403「ブラームス三番、職人的指揮者ヤッシャ・ホーレンシュタイン」

 指揮者には二通りのタイプがあるように思われる、フルトヴェングラー派とトスカニーニ派と。実は、両者とも初期において、ベートーヴェンの五番交響曲などの演奏スタイルは極めて似ているのであるが、トスカニーニは明らかに引退するまでトスカニーニ型であったのに対して、フルトヴェゥングラーは何時のころなのか、フルトヴェングラーのスタイルに変貌しているといえる。
  それは何においていえるものなのかと言うと、テンポ設定なのである。極端な言い方をすると、曲の始めから一定の感覚が支配するタイプと、曲の途中で、アゴーギグ緩急法といって伸縮が自由なスタイルの演奏という違い。どれほど自由に振っても、オーケストラメンバーの支持が無ければ、音楽にはならないのだが、説得力のある演奏というものは、指揮者と演奏者の一体感が、音楽的感動をもたらす。フルトヴェングラーには作曲者に対するリスペクト尊敬と、愛があり、演奏者に対する説得力は、余人の追随を許さない。一方、トスカニーニは、一定のテンポ感ではありながら、カンタービレという演奏者がよく歌う演奏は、簡単に機械的という言葉ではくくることのできない、ヒューマンな感覚は天下一品でなのある。
 ヤッシャ・ホーレンシュタイン1898.5/6キエフ~1973.4/2ロンドン没、六歳のころからウィーンに移住して、大学では他に哲学なども習得するなどしている。彼はフルトヴェングラーの助手を務めたほか、マーラーの音楽のスペシャリストとして活躍している。戦後はヴォックス社に録音が多数で、その中に63年コピーライト、1962年頃録音、 南西ドイツ放送交響楽団バーデンバーデンを指揮したものでブラームス交響曲第三番ヘ長調作品90とハイドンの主題による変奏曲作品56というカップリングの名演奏がある。 
 交響曲第三番の音楽は、鋭角的な音楽と、歌謡性に溢れた演奏スタイルというロマン的な音楽が併存する格調高い音楽の記録になっている。これは冗談なのだが、マーラーやブルックナーの交響曲が7~80分くらいの演奏時間を必要とするのに比較して、B氏は3~40分程度だから、ブラームスの音楽は小さい小さいとする輩がいる。本人も冗談半分なのだが、半分は本気なのである。これは、可哀想な話、演奏時間に反比例して、ブラームスの緻密な音楽は、長時間を必要としない精密な設計を基にしていることを知らなければ、理解不可能な話なのである。フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュたちは、ブルックナーもブラームスも両者を等しく名演録音を果たしている事実を、どのように評価すべきか、説明がつかないではないか。演奏時間が半分という感覚では、認識もその程度というものなのであろう。
 交響曲第三番は1883年12月ウィーンで初演されたもの、第二楽章アンダンテ、ここでの音楽は深遠を極める。ホーレンシュタインの指揮は、演奏者から緊張感を導き出すばかりでなく、その歌謡性を限りなく引き出すことに成功している。聴いていて、そのロマン的世界に引き入れられることは、よくある経験ではない。ハーモニーの透明感は磨き抜かれていて、管楽器の音程感は高いものであり、それに呼応する弦楽アンサンブルの演奏は、豊かなハーモニーに溢れている。管楽器にヴィヴラートは変え目なのに対して、第三楽章ポコ アレグレット少しだけやや快速でという音楽、ピークで弦楽器は、目一杯のヴィヴラートで演奏されている。ハイドン変奏曲で、中音域、アルト、チェロのカンタービレな演奏に、刮目、その偉大な演奏記録は、作曲者へのリスペクトと愛に溢れた演奏者との絶大な一体感に、つい涙を落とし侍りぬ・・・素晴らしい記録再生のひと時である。