千曲万来余話その542~「ドヴォルジャーク新世界から、新型ブルーバードのころ・・・」

 自動車というとニッサン、トヨタという戦後日本をけん引した二大メーカーを忘れることはできない。とりわけ技術の日産、大衆車として1959年から登場したのはブルーバード、2001年には生産終了しているが英国車オースチンをモデルとして当時米国で主流派フォルクスワーゲンの、ビートルとは一線を画した左側車線通行の右ハンドルセダンタイプ、ヘッドライトは一つ丸目。1963年からはダブル丸目の三代目となる。
 ベルリン・フィルは初代常任指揮者がアルトゥール・ニキッシュ1855.10/12~1922.1/23ライプツィヒ没で、二代目はウィルヘルム・フルトヴェングラー1886.1/25~1954.11/30バーデンバーデン没、三代目は1955年からヘルベルト・フォン・カラヤン1908.4/5~1989.7/16ザルツブルグ没という歴史がある。
 ディスコグラフィーによるとフェレンツ・フリッチャイ1914.8/9ブダペスト生~1963.2/20バーゼル没は1953年1月ベルリン・フィルとベートーヴェン交響曲第1番を録音している。1955年にはクララ・ハスキルを迎えてモーツァルトのピアノ協奏曲第19番ヘ長調を録音していて、彼は当時ベルリン放送交響楽団がメインだったことからBPO録音は割と貴重なものといえる。53年4月第8番、57年12月第9番、58年10月第3番、60年10月第7番、そしてこのコンビによる録音は61年9月第5番でピリオドを打つ。
 1959年10月ドイツ・グラモフォン録音ドヴォルジャーク新世界からがリリースされている。幸いなことにステレオ録音の他にモノーラル盤があって、このたびステレオテイクモノーラル盤を聴いた。ステレオとモノーラルの違いはどこにあるかというと、ステレオには定位ロ―カリゼイションという問題がある。左右チャンネルと共に中央の感覚があり、マイクロフォンはその上に前後感覚を生起させる。ステレオ録音方式はだいたい1955年頃からリリースされていて、トスカニーニやフルトヴェングラーはモノーラル録音時代の芸術といえる。ただし、トスカニーニにはワーグナー作品のステレオ録音が存在している。フルトヴェングラーには「英雄」がLPステレオ盤で40数万円というものもあった。
 ステレオ録音が採用された当初は左チャンネルがヴァイオリン、右チャンネルはコントラバスというものが主流であって、高低グラデイションが基準とされていた。ところがEMIのものでは、たとえばカラヤン指揮したフィルハーモニア管弦楽団によるシベリウスの交響曲第2番などで、ヴァイオリン両翼配置が採用されていて、右スピーカーには第2Vnが定位していたのである。それは少数派でLPレコードの主流は、右チャンネルにはコントラバスというものとなった。フリッチャイもレコーディングはモーツァルト、ベートーヴェンの交響曲など高低グラデイション録音となっている。
 モノーラル盤はマイクロフォンに対して楽器が正面に据えられている感覚からチェロ、コントラバスも楽器は中央感覚があるから、右側低音楽器という感覚から解放されているのだ。すなわちVnの主旋律に対して右スビーカーでコントラバスがピッチカートするという違和感が発生しなくて救われる。本来、第1Vnの奥にチェロ、コントラバスは配置されて作曲者イメージの再生となるものである。
 フリッチャイの指揮は管弦楽団演奏者達から絶大の信頼を受けていて、ひしひしと伝わる感覚があり木管楽器奏者による余分な力の抜けている誠実な演奏には、本当に心を打たれるし、金管楽器奏者によるリズム感抜群の切れの良いメロディーにはワクワクさせられる。ベルリンの楽壇からは、フルトヴェングラーの再来として受け入れられていたというのも尊敬される存在として指揮者のシンボルであった。第2楽章ラルゴを聴いていると夜の音楽、祈りのひと時だろう・・・