千曲万来余話その582~「春の祭典、ストラヴィンスキー物語・・・」

 ハルサイと聞いてああ春の野菜かという連想は料理の世界で、音楽でいうとイゴール・ストラヴィンスキー作曲、バレエ音楽・春の祭典とこうくる。ところが祭典というのはフェスティバル、フェテなのでサクレというのは神聖な、というものになるから意訳の典型であろう。祭事まつりごと、立春をむかえて、キリスト教以前のロシアで異教徒たちの儀式、選ばれし乙女のいけにえ、神聖祖先神礼賛というまでだ。
 第1部1序奏2春の兆し・若い娘たちの踊り3誘惑の戯れ4春のロンド5競い合う部族のたわむれ6賢者の行列7大地礼賛8大地の踊り、第2部1序奏2乙女たちの神秘な集い3選ばれしおとめへの賛美4祖先の霊への呼びかけ5祖先の儀式6終曲いけにえの聖なる踊り、30分程度の管弦楽曲で楽譜にはメトロノーム記号が指定されていて、短めで29分、長めで37分程度の演奏時間になる。
 ストラヴィンスキー1882.6/17オラニエンバウム生~1971.4/6ニューヨーク没行年88歳は、ペテルブルグ近郊で生まれ、父はオペラ歌手。9歳でピアノ教師についてグリンカ、チャイコフスキー、リムスキー=コルサコフ、グラズノフたちの影響を受ける。大学法科に在籍するもR・コルサコフと知り合い作曲に志す。2年間、作曲法、管弦楽法を修得して1903年にピアノソナタ、1907年変ホ長調交響曲第1番を作品1として創作、08年には恩師令嬢の結婚祝いとして「花火」を作曲、完成直後にリムスキーは死去している。ロシアバレーのために第1作火の鳥が1910年5月に作曲され、習作時代から飛躍した。この6月パリのオペラ座に現われて輝かしい成功は未来を約束されることになる。バレエ団プロデューサーのディアギレフは積極的に彼に関わり、3大バレエ音楽として火の鳥、ペトルーシュカ、春の祭典が世に送り出されている。
 ヴィヴァルディは600余りの協奏曲作曲が、ひと通りの作曲様式であったのに比較して、ストラヴィンスキーは100通りというか、作曲するたびにスタイルを変えているといわれる。原始主義というかバーバリズム、バレエ音楽プルネチルラ以降は新古典主義といわれる。1913年5/29には春の祭典を初演、指揮者ピエール・モントゥー。作曲者はスイスやパリで活動ののち1940年の渡米を経験して1959年には来日、NHK交響楽団を自作曲指揮をしている。力強い指揮振りに、多大な感銘を当時の関係者からの証言として聞かれている。
 フランス人作曲家ピエール・ブーレーズ1925.3/26モンブリン生まれ~2016.1/5バーデンバーデン没は、ハンス・ロスバウトに指揮法を師事して1963年6/20~21にフランス国立放送管弦楽団とスタジオ録音を果たしている。師のロスバウトは前年1962.12/29ルガーノ67歳で死去、ということは、指揮したブーレーズにとって鎮魂の記録になったことは想像するにかたくない。鮮烈な音色、力強いリズム、不協和音の新鮮さなどなど当時のセンセイションは相当なものだったことだろう。ブーレーズは1970年5月来日していて、ジョージ・セルと共に、長谷寺室生寺を参詣、クリーブランド管弦楽団を指揮棒持たないスタイルで指揮していたのは、現在の先駆けとも云えるのだろう。演奏者にとって緊張感を強いられる厳しい取り組みが、ブーレーズにとって信念信条にかかわる生命線ともいえる。
 春の祭典は現代音楽の代名詞ともいえるのだが、すでに古典音楽クラシックとして有名である。リズムと、メロディーそして和音ハーモニー、工夫としての不協和音は、手のひら返しの新しい地平として、獲得された自由といえるのかも・・・・ステレオ録音はモントゥー型ともいえる、Vn両翼配置、指揮者右手側低音のものになる。