千曲万来余話その701「ブラームス2番交響曲 M・ポンマー指揮札響名曲コンサートを体験・・・」。
作曲家が交響曲に取り組む時、ベートーヴェンはハ長調を1番に2番は二長調そして3番は変ホ長調とくる。ブラームスではハ短調、ニ長調、ヘ長調、ホ短調という4曲。主音をC<D<F<Eつまり、ドーレーファーミとするとこれは、モーツァルトのK551ハ長調交響曲ジュピター動機モチーフということになるのだが、ハイドンでは第13番ニ長調交響曲1763年作ですでに採用されている。
2番がニ長調とするのはベートーヴェン、ブラームス、シベリウスというのが気になる。メンデルスゾーンでは第1番ハ短調作品11作曲は1824年、2番目は、出版楽譜で第5交響曲宗教改革作品107という1832年作のニ長調交響曲となる。M氏が23歳作曲家でヨハネス・ブラームスは翌年ハンブルクにて誕生した。
9年前、千曲万来余話その230でご紹介したマックス・ポンマー1936年ライプツィヒ生まれでザールブリュッケン在住マエストロ89歳はこの9月13日にキタラホールにて札響名曲コンサートのタクトを振った。プレトークではこの特別な日クララ・シューマンの誕生日にブラームス2番交響曲を披露するのは光栄であると発信して、世界に広く愛されているブラームスの平和なシンフォニーであるとした。交響曲1番が21年がかり壮大な作曲で1年後1877年墺太利南部のペルチャッハ滞在中に構想、リヒテンタールにて完成されたものだが、ヴェルター湖畔の風光明媚な村で生まれた。なおクリミア戦争が1853年にという歴史、1859年にはイタリア統一戦争、1864年にはプロイセン、オーストリアとデンマークに開戦するなどなどヨーロッパでは戦争の最中である。 2番ニ長調交響曲は田園と呼ばれる程の音楽で、クララの誕生日にブラームスはピアノで第1楽章を演奏し披露したというエピソードを明かした。
ブラームス第1番ハ短調交響曲は作品68であり、ベートーヴェンは作品67で第5番というローマ数字でV ナンバーは勝利ヴィクトリーの音楽である。明らかに作曲者は作品番号を管理していて、20年余りの創作活動はこの作品68に集約されている。作品73第2番はB氏の創作力の精華である。この第1楽章のピークではフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル1952年5/7ミュンヘン録音を聴くと結尾の前の402小節目でD管のトランペットがタッタカターと高らかに吹奏している。これは、流布している出版楽譜の通りの演奏で大多数この曲の演奏になっているのだが、1953年2月ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏ではトランペット、ホルンの演奏がタッタターというクラリネットやアルトの楽譜に合わせられた16分音符の後の方がタイでもって403小節の付点2分音符と連結なされている。ここで、マックス・ポンマー指揮した解釈も見事にトランペット奏者に指示がなされていて、タッタターというリズム動機が採用され第1楽章の統一感を表現していたことになる。
なんのことはない、ワルター指揮の後日1960年1月11、14,16日 コロンビア交響楽団録音で流布楽譜の通りタッタカターというトランペット演奏を聴かされることになり、皆さんもその通りと思われるだろう。つまり、これはブラームスの音楽観による違いなのであり、盤友人として見解は、作品78ヴァイオリンソナタ第1番ト長調雨の歌にあるリズム動機こそブラームスの意図する音楽であってそれは、指揮者の「主体性」に委ねられている解釈問題なのだろうと思われる。フリッツ・ブッシュ指揮したデンマーク放送交響楽団1947年、カール・シューリヒト指揮シュトゥットゥガルト放送交響楽団1966年、オイゲン・ヨッフム指揮ロンドン・フィル1976年録音、ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団1996年録音などはタッタターというリズム動機統一である。ここにご紹介する西ドイツAMATI盤ヨゼフ・クロイツァー指揮王立デンマーク交響楽団1974年録音を丹念に聴いているとタッタターとするトランペット吹奏であった。
なお札響名曲コンサートでは交響曲の第3楽章アレグレット・グラツィオーソがアンコール演奏された。盤友人左隣の女性などはフライングで離席してアンコール演奏は聞けずにかわいそうなことをした。ポンマーさんは椅子に座りながらも克明な指示、アイコンタクトをしっかり受け止めていた若手3番女性ホルン奏者など、実に豊かな音楽に満たされてたkitara大ホール、聴衆の入りは1800人を超えていたかもしれないのだが、ブラームスの音楽をいつくしみ、札響を愛していたマエストロの指揮振りを温かく見守っていて、大満足する名曲コンサートであった。翌日曜日は秋晴れの爽やかさである・・・