🎼 千曲盤来余話 by盤友人

381

システムを組み立てる時、たとえばコンセントに差し込む電源プラグのことを意識したことがおありだろうか?
 以前に指摘したこともあるけれど、そのとき注意すべきポイントを再記したい。
 プラグをよく観察すると、金具が出ているプラスチック面は、規格がプリントされていることが分かる。たとえば、電圧の数字とかが読み取れる。その時プラグの上下が決まるのでそれを元に、差し込むことが基本である。それ以外の時は、つまむ面で規格が書かれている面を上にして、ブランド名が書かれている面を下にするのが、ベスト。交流電源であってもそれが基本、どちらでも良いのではないか?と疑問を持たれる向きもあろうけれど、不思議と違いが出てくるのである。それは、長きにわたる経験からによるものだから、それ以上の説明は無用というまでである。
 ピンコードなどについても、差し込むとき、方向性がある。ケーブルの表皮には、注意してよく見るとクレジットがプリントされている。それを、読み取る方向で電気が流れるように配線するのが基本である。たとえば、クレジットの始め側をプリアンプ、そして終わり側にパワーアンプが来るように繋ぐということだ。そんなことに、気を使う必要があるのか?と思われてそんなのは、神経タカリ!と笑う向きもあろうけれども、そういう気遣いの上に、オーディオの愉しみは成り立っている。電源コンセントには、ホット、コールドという呼び名があるように、ホット側から電流があり、コールド、すなわち、グランドアースがあるという理屈なのだから、それに従うのは自然だというのが、よって立つ立場である。
 LPレコードの片面を再生して、大体、二十分余りが記録されている。それが、こともあろうに再生の最初とお仕舞いで、音のコンディションに違いが出てくる。つまり、再生始めは情報が豊かなのに、内周部分ではピアノという楽器一つの音楽で、その再生音の情報はやせてしまう。これは、プレーヤーのアーム、初期型というグレードアップを図って、顕著に実感するところとなってきた。スタインウエイ、スタジオ録音でマイクロフォンが近接しているであろうものと、ホールで録音されピアノの音の他にホールトーンがよく乗っている再生音では、そこのところ、差異が微妙である。
 クリフォード・カーゾン1907.5/18ロンドン~1982.9/1ロンドン
ロンドン音楽アカデミーに学び、16歳より演奏活動を始めた英国人の偉大なピアニスト。21歳で渡独して、シュナーベルに師事している。パリでランドフスカやブーランジェにも就いていて端正な演奏スタイルを確立している。特に、録音に使用するピアノは、ベーゼンドルファーが多数で、その音色は、豊かな印象を与える。
 シューベルトの楽興の時、作品94は小品六曲から成り1823~25年にかけて作曲されている。その第三曲目、ハンガリー舞曲風で、日曜日午前八時の音楽ラジオ番組開始曲として有名で盤友人が中学生の時分から親しんでいるもの。その有名曲の一つ前、二曲目は沈潜した音楽でピアノの音響を、じっくり聞かせるものである。こういう音楽を作曲する青年、フランツ・シューベルトは只者であらず、これを演奏するカーゾンのLPを再生すると、先に記した情報、つまらない知識など採るに足らないとして一笑に付されるのが落ちというものだが、さにあらず、その上での話なの・・・

こんなレコード、どうだい?とクリケットレコード店長が手渡してくれたのは、MPSのジャズでピアノの二重奏ライヴ盤だった。
  ハンク・ジョーンズ1918.7/31ビッグスバーグ~2010.5/16
 トーマス・リー・フラナガン1930.3/16デトロイト~2001.11/16N・Y
 ステレオ録音で、左右から二種類の異なった音色、それは、倍音成分が明らかで左側は軽快なスタインウエイ、右側から重厚なベーゼンドルファー・インペリアル・コンサートグランドピアノのものが流れてくる。
 A面で、トミー・フラナガンはスタインウエイを弾き、ベーゼンドルファーをハンク・ジョーンズが弾いているように聞こえる。トミーのタッチは軽やかで、ハンクのものは深くて、太い音色を聞かせているようだ。彼の次弟はサド、トランペッターで末弟は天才肌ドラマー、エルヴィンという三兄弟。即興的な演奏は無類で、けっして、目立ちがり屋などではなく、トミーとの二重奏でも、出るときは出るけれども、引くときは引くという控えめさを併せ持った天才ピアニストである。
 良い音とは何か?というと、きれいでノイズが無く・・・とこうくるのだが、そのことにより、デジタルの音は、確かにノイズは皆無であるのだが、ソースの重要な情報が欠落しているように盤友人には、聴こえる。それは、このレコードを再生して、意をさらに強くした思いがする。それは、二種類のピアノの音色の違いにあるのだ。
 スタインウエイは、華やか、音色が高い音から低い音まで均一で、スマート感があり、倍音も豊かである。ところが、ベーゼンドルファー・インペリアルとなると、低音域の音の押し出し感はスタインウエイと比較すると、その厚みが段違いである。ハンク・ジョーンズもそこのところを、一層描き分けて、楽器の持ち味を十分に引き出している。
 さて、ジャケット裏の演奏風景写真をみると、舞台下手側には、トミーがすわっていてそのピアノのペダルボックスの形状に注意すると、明らかにベーゼンドルファーである。B面、向かって左側でトミー・フラナガンは演奏しているようである。
 この二重奏を聴いていて、驚かされるのは、調律が完全で、二台のピアノの音程ピッチに狂いが無いことである。当たり前というと、そうなのだが、その上で、二人が、同時に音をぶつけ合うのではなく、相手を立てるために引いたり、自分が主になったり、描き分けているのが手に取るように再生されると、これは、阿吽の呼吸、二人の名人芸に聴衆の喝采と共に、記録芸術再生の愉悦を、深くかみしめることになる。
 この高みを目指して、23年余りの歳月に至るのだけれども、その時々の充実感こそ、礎であってどれ一つとして、無駄なひと時ではなかったように振り返ることが出来る。良い音とは何か?それは、経験を積み重ねた上に求められるもので、ラインを接続してから始まる、苦難の歴史の克服にある。様々な人との出会い、切磋琢磨、向上心、探求心、さらに言うと意があり、注意有り、周囲に恵まれ、達人と出会いがあって、その上で音楽と出会い、袖触れ合うも他生の縁、気がつくとそこには、音があり音楽があり、良い音とは、正に色々なのである。     

ディスクを選択するところから、オーディオは始まりLPレコード、モノーラル録音はモノーラルカートリッジを使用して、十全な記録再生を体験することが出来る。その上で、スピーカーにウエスタン・ウッドホーン224を鳴らし、時間は、1943年、10月31日11月1、2、3日のベルリン・フィルハーモニーホール、45年1月に連合国側により空爆される一年余り以前の記録、その黄金ホールに繰り広げられたフルトヴェングラー芸術の偉大なレコード再生に至る。
 10/09月曜えぽあホール、デイヴィッド・ラッセル、ギターリサイタルに足を運んだ。  
 小さな音量、その上でよく響くかそけき音色、華やかな名技性、彼が楽器をチューニングする時から、客席に座る盤友人の耳を捉えて離さない。スコットランド出身で、スペインに育ち、アメリカでも活躍した国際性豊かなキャリアを物語り、スペイン音楽の神髄やスカルラッティ等クラシック音楽の演奏で、一瞬キタラをかきならすギリシャ人を思わせられた錯覚に陥ったりしたものである。
 グラナドスなどアンコール二曲披露して、小ホール一杯の聴衆と一体になり、濃密な秋の夜のひと時を過ごすことが出来た。咳しわぶき一つない、静寂の中でギター音楽は、充実する。えべつ楽友協会の主催で、開館二十周年の新たな一ページ、感謝する一念を胸に、ホールを後にした
 音楽は、大小さまざまな音量で聴かされるのだけれど、大音量が記憶に残るとは限らない。小音量であっても、深く心に刻まれる音楽もあるのであり、それをその日に経験できたことは、貴重であった。
 ウッドホーンの実力は中音域の微妙なニュアンスの力強い表現にある。1943年の録音であっても、その記録に弦楽器、管楽器の合奏アンサンブルの妙技性、はたまた、ティンパニー音楽開始の一打に、ホールの空間が実感させられて、素晴らしい事、この上ない。
 なにより、オーケストラ演奏の緊張感が伝えられるとき、ベートーヴェン交響曲第七番イ長調作品92という音楽を鑑賞するベルリン市民聴衆の姿が、浮かび上がる。これはもう、オーディオの醍醐味、そのものであろう。きっちり、リズムを刻まれて、ダンスのリズムの上に交響曲第一楽章は繰り広げられる。低音域、チェロやコントラバスがスウイングするそのリズムは、魂を揺さぶられる事、この上ない。オーディオという単語一つでもって、括られることは、記録の再生ということなのであろう。そこに、ウッドホーンで再生体験をするとき、何にも代えられない、フルトヴェングラー、必死の指揮姿を思い浮かべられるのは、正にこのひと時以外に、なかなか経験できる世界ではありえない。F氏が指揮するのは、ヒットラーが政権を維持していた時期であり、明らかに戦況は悪化していく、その只中にある。戦争状況の中で、ベートーヴェンの音楽を求める市民の胸中を想像するに、政治と芸術の狭間の市民生活に心痛める。そこを想像せずに、この記録再生を過ごすことはありえない。特に民主主義は、一人一票の政治体制、人々の死線を左右する政治家は、この事実を、いかに、受け止めるのであろうか?市民の側の立場として、しっかり、体制選択を志向する責任こそ求められるのではないか。責任の所在は政治家にこそあり、一蓮托生の市民生活に、真に、意義ある芸術体験をウッドホーンは、導いてくれる・・・そこはかとない、ぼんやりとした不安、今、必要とするオーディオとは? 

他人を思いやれてこそ自立、傲慢で配慮が無いのは孤立、これは月別カレンダーの言葉で札幌音蔵の特別室で目にすることが出来る。10月の暦でお目にかかったもの。
 どこか、意味が深くて思い当たる節があるものではなかろうか? 何も政治家にばかり当てはまるのではなくて、芸術家、特に指揮者に当てはまるものではなかろうかと思われる。
 深く考えるに、人間関係の神髄を言い得て、妙である。人と人間、この違いを考えてみると、個としての存在が人で、人間というものは社会的動物を指している。社会的というのは、集団を形成して、その人間関係の有るか無しかという微妙な構成要素を指す。
 たとえて言うと、お相撲さんの社会では、横綱と小結には、明らかに差異が有り、その立ち居振る舞いにはおのずから違いが出てくるものであろう。何も、上下関係を指すばかりではなく、その人の来歴、経験の違いによるところなのである。身分差別を意味するのではなく、人として、敬意の発露を促す要素、差別というと、階級社会を意味するものではあるのだけれども、それを無暗に礼賛するわけではなく個別の、人間関係を考慮する時、必要な手掛かりとして、有る。そんな、横綱にこそ必要な言葉なのだ。そして、組織のリーダーにこそ、必要な言葉、人間関係を構築すべき人には心しなければならない言葉なのである。
 さて、音楽の話、指揮者について考えてみよう。ベルリン、ウィーン、そしてミュンヘンという三都で大活躍した指揮者ハンス・クナッパーツブッシュ1888.3.12~1965.10.25はドイツ、エルバーフェルトに生まれ、ミュンヘンで市井の人々に惜しまれつつ物故した怪人、否,快人である。何か、知った風な物言いで、恐縮するのだが、彼の残したレコードには、熱い血潮がたぎる名演奏ばかりで、中でもブルックナー交響曲第8番ハ短調、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団のものは、すこぶるつきの、記録となっている。
 それでは、何故、ベストセラーとは、なり得ないのか?というと、採用している楽譜は改訂版、ウィーン原典版の楽譜を手にして鑑賞していると、ばっさり改訂した部分が多々あり、カットも多くて、ついていくのに骨が折れるからである。首をかしげてしまい、明らかに、スタンダードというのに憚りがあるというものである。だがしかし、これは不自然ではなく、愛する人々のその執着する度合いは随一といえるであろう。余人をもって真似できない音楽であり、オーケストラプレーヤーの熱意がひしひしと伝わってくる演奏である。そのグレード、合奏の緻密さたるや、抜群である。
 旋律線にスラーがついていても、それを第二Vnではピチカートで演奏しているなど度肝を抜かされてしまうのだけれど説得力はかなりのものだ。1963年1月のウエストミンスター録音、ステレオ録音で古典配置が手に取るように印象的である。
 現代において、封印されていた楽器配置、第一と第二ヴァイオリンが二つのスピーカーから聞こえてくる音楽は、必然的にチェロという楽器が客席と正対する演奏であって、なおかつ、第二Vnが上行してピチカートでメロディーが上がり、左スピーカーから第一Vnが下降する時など、思わず聴いていてうなずくほどの効果がある。いわずもがな、それは、作曲家に対するリスペクトの楽器配置と云えるからであろう。まして、演奏者が指揮者に対するものと重なるから、なお不思議・・・

オーディオで、プレーヤーという入口、アンプという胴体、スピーカーという出口などの三部構成認識が必要である。さらに付け加えると、オーディオ・アクセサリー付属品という要素もあって、それらの総体が、オーディオの構成ということになる。
 プレーヤーでは、アーム、カートリッジ(ピックアップ)、ターンテーブル、テーブルシート、そしてモーターなどなど、詳しく見ると、ほかにもまだ云えるだろう。モーターについていうと、アイドラー式、ダイレクトドライブ式、糸ドライブ式など千差万別で、多数派はアイドラー式というもの。モーターにアイドラーを装着、ターンテーブルを回転させる方式、そのアイドラーの材質、ゴムによっても音は、変わる。
 ターンテーブルのシートによっても、音は変わるし、ターンテーブルの材質によっても音は変わるから不思議だし、面白いし、奥が深い。
 だいたい、ターンテーブル、モーター、アーム全体を組み立てるキャビネットによっても、音は変わる。木の材質を選ぶことによって変化があるし、たとえば、キャビネットのかどを角にするのか?丸くするのか?でも、影響が出る。
 カートリッジ、いわゆるレコード針とそれを稼働する本体、MM式、さらに昇圧トランスを必要とするMC式、なども微妙である。針と本体を接続するものとして、リッツ線がある。その線材として金線、銀線、銅線がある。これらはオーディオアクセサリーといわれるものなのだが、音に違いを愉しむ経験が、可能である。さして違わないといわれる向きもあるには、あるのだが、金はキンキン、銀はギンギン、銅はドウドウというと、笑い話のようだけれど、体験すると、実に奥が深い。盤友人は、ヴァイオリンを再生する音でもって、その差を確認して、一番、実際に近いかどうかの判断を下したものである。結論は、銅、でした。金と同じという漢字ではあるのだけれども、感じは違うのであって、自然さ、ナチュラルな感覚を尊重して、銅という線材を選択、洗濯ではなくて、選択したのだった。
 さらに付け加えると、リッツ線の結線段階で、プラスとマイナスを逆にする位相の違いを経験したことがある。右チャンネルだけ逆位相にして、出てくる音像に変化を加えるという。なんのことはない、音は変わり、その変化に惑わされるのだが、正位相、それで良いだけの話だ。
 カートリッジというと、メーカーによって音に違いがある。シュアー、FR、エンパイヤー、それぞれのお国柄、音色に違いが有る。ウィーン・フィルハーモニーのレコードを再生したとき、一番、自然に感じられたカートリッジは、オルトフォンの音色だった。ヴァイオリン、アルト=ヴィオラの音色もさることながら、チェロとコントラバス、音のかたまり(塊)感に、優れているものがあった。
 音の張り具合は、ピアノを再生する時、感じることが容易である。位相のチェックをするのも、ピアノのタッチで判断することが、最適である。音の発信感は、アナログ録音の得意とするところであり、デジタル録音、一番の弱点である。それは、ノイズが無いという宣伝文句の表と裏の関係にあって、アナログにはノイズが付きものであっても、聴く耳は、選別する注意を働かせているのであり、それをカットしているのは、質的に、別世界だというオーディオの話である。

フルトヴェングラー指揮というモノーラル録音のLPレコードによる放送録音集がキングインターナショナルから、リリースされるのは非常にありがたいことである。さらに、詳しく付け加えると、1947年~1954年までのベルリン・フィルハーモニーとのライヴ放送録音。
 つまり、彼が非ナチス化を認定され、指揮活動を再開されてからの記録であるから、その芸術たるや、生きる喜びの記録と言い換えることができるだろう。第二次世界大戦での戦争犯罪から免れた芸術家の一人として、極めて稀有な存在、戦前から戦後へと継続してその指揮活動を認められた人類の至宝的芸術家といえるだろう。もちろん、ヘルベルト・フォン・カラヤン1908~1989もその一人であって、その違いは、モノーラルからステレオ録音両時代の活躍を続けたかどうかの相違にある。つまり、F氏は、モノーラル録音のみの英雄なのである。
 舞台芸術における、オーケストラ録音の在り方としてモノーラルか、ステレオかという考え方の違いは、意識されざるテーマとして、きわめて、重要なものである。すなわち、弦楽器配置における古典配置か? 現代配置か? ということである。
 今から三十年余り前、アナログからデジタル録音へ録音ソースが展開を見せた時代、盤友人の周りには、デジタルはちっとも音が良くないねとか、フルトヴェングラー指揮のものは大戦前のものと後のもので、四十年代のものは何か違うんだなあと口にするレコード愛好家が居たものである。今振り返ると、それはそれは、貴重な聴き方であったといえるだろう。大量情報伝達媒体は、競ってデジタル録音へと、愛好家の嗜好誘導を図って、ほとんどコンパクトディスクへと転換を進めていた現実があった。そんな大多数の人々は、CDの世界へと移行していったのが現実である。だが、よく考えると、レコードプレーヤーについていうと、捨てた人々と、愛着から保存した人々と二通り居たのが現実であり、最近の情報として、LPレコードリリースというニュースが伝えられる時代と相成った次第である。まさに、フルトヴェングラー指揮が蘇る時代の到来といえるだろう。
 舞台をモノーラルの音源と考えたとき、ヴァイオリンは、第一と第二ヴァイオリンが共に束ねられる現代配置が存在するのだが、F氏の四十年代は、ヴァイオリン両翼配置であったというのは、しかと、認識を改めなくてはならない事実である。それは、舞台のステレオ的配置といえるのだ。だから、指揮者左手側には、コントラバスとチェロ、第一ヴァイオリンが配置されるというのが、舞台下手側といえるのである。右手側上手配置として、アルト、第二ヴァイオリンが配置されてステレオ的といえるのだ。すなわち、ステレオ録音初期は、左手側高音、右手側低音という配置が多数派的楽器配置であったのであり、それをさらにさかのぼること、作曲家時代の楽器配置こそ古典配置というヴァイオリン両翼型というものである。ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームスの音楽をモノーラル録音で愉しむことから、古典配置へと遡るのは、ごく自然な成り行きといえるのだ。 ヘルベルト・ブロムシュテットをはじめ、ダニエル・バレンボイムらのベテランから、クリスティアン・ティーレマン、ジョナサーン・ノットらの世代へと指揮者たちが両翼型配置移行している現実と共に、モノーラル録音でのフルトヴェングラー指揮芸術、ありがたいのはレコードといえる。 つくづく、戦争と平和について考えさせられるこの頃なのだ。

第一楽章、お仕舞い近くのカデンツァ、独奏者が一人で名技性を発揮する部分で、管弦楽団メンバー達は静かに聞き入っている。そんな中でコントラバス首席奏者の池松宏さんたちは弦を、両手組んだ手のひらで押さえていた。感動的な一コマ。都響札幌公演、キタラホールLAブロックでコンバス向かいに座り、左手側にティンパニー、管楽器そして弦楽器、右手側に客席を眺める座席位置、中心に指揮者、大野和士の気迫を確認する。独奏者は、若いパク・ヘユン、ベージュのインナーで黒のシースルーというドレス姿、完璧な技術を駆使してアンコールにエルガーの性格練習曲作品24の5、ホ長調を華麗に披露した。
 Vn協奏曲は、第一と第二ヴァイオリンのティラリラリラリラという最弱音の演奏で囁きの中に開始される。これは、配置が明らかに、両翼配置を前提としている。第二楽章で、フルートが高い音でゆっくり降りてきて、第二Vnとアルトがそれを受け継ぐ音型など、指揮者右手側舞台配置の演奏でもって収まりがつく。現代主流の配置はそこのところ、セカンドVnとアルトが離れているのは致命的に聞こえ方に難がある。札幌キタラホールはワインヤード型といって、舞台の全周囲に客席が配置される構造になっている。原点はベルリン・フィルハーモニーホール、1963年10月建立にさかのぼる。ところが第二次大戦前フルトヴェングラー指揮した時代のものは、シューボックス型といってウィーンのムジークフェラインザールなどが有名なタイプである。
 よく人は、音楽は音の芸術だから聞こえるとそれで良いから配置はどうでも構わないと、アバウト、逆に、弦楽器配置はVn両翼が前提と言うと、あなたは原理主義者か?という反応をする輩が居る。 笑止千万きわまりない事はなはだしい。だいたい、音の芸術というよりは、時間の芸術なのであって、管弦楽には相応しい配置というか、作曲家が前提とする楽器配置はあるのだから、それを模索する態度こそ指揮者に求められるのであろう。
 ヌヴーの1945年11月ロンドン録音は、彼女が26歳、初めてオーケストラと共演した記録、一気に演奏されたような印象を受ける。管弦楽かさくさくとリズムを刻むとき、彼女は目一杯フレーズを歌わせる。音色が鮮烈でガット弦の輝きを宿している。作品47ニ短調というと、ショスターコーヴィチは1937年に交響曲第五番を作曲、シベリウスは1904年2月08日初演の指揮を執っている。 そういえば、マタイ受難曲の第47曲ロ短調、アルト独唱とヴァイオリンによる魂からの詠唱というべき音楽であったのは、単なる偶然といえるのだろうか。
 ジネット・ヌヴーは1919.8/11パリ生まれ~1949.10/27アゾレス諸島、飛行機事故で客死している。1935年ヴィエニャフスキ国際コンクール15歳でグランプリ獲得、その時27歳ダヴィッド・オイストラッフが二位であったというは有名である。
 白熱の記録、ワルター・ジュスキント指揮、フィルハーモニア管弦楽団の演奏はフルオーケストラの風圧を受けつつ、必死に歌を歌うような演奏で、彼女の薄命を自覚するとき涙を覚える。
  そういえば札幌音蔵の扉を開くとき、対面するガラス戸のサンドブラッシュデザインが彼女の演奏するポートレートであるのは、趣味として素敵である。  

指揮者、朝比奈隆は晩年になって、これからの時代に手本となる音楽として、オットー・クレンペラーの記録を挙げていた。
 何を意味しているのか、補足して指摘すると、その当時あふれていた音楽情報のスタンダードは、帝王ヘルベルト・フォン・カラヤンであって、彼が君臨するオーケストラ指揮界に、人々の大多数を形成するのは、カラヤン指揮するレコードを買っているとハズレはない、という心理が働いて、経済動向の底辺となっていたということだ。カラヤン中心にクラシック音楽は、回っていたといえる。そんな中の発言で、朝比奈は、クレンペラー指揮の音楽がやがて主流となるだろうという予言を残していたのである。
 オーディオの世界で、モノーラル録音の時代から、ステレオ録音の世界へと展開を見せていたのは、多数の人の認める歴史であろう。ステレオとは何か?というと、左右チャンネル、そして中央の音像という、左A、中央C、そして右Bという定位、ローカリゼーションが成立する。盤友人の父親は今年98歳、未だに、スピーカーが二つある理由を理解していない。すなわち、それぞれ二つのスピーカーから同時に出るのは同じ音だという認識であるのだが、笑ってはいけない、人の認識というものは正しい知識が無い時、その程度のもの、大同小異なのである。
 オーディオの世界、そのシステム風景写真で、中央に物が置いてある時、その人のレベルが知れるというもの、中央の意識が無いのは、それで限界があるオーディオを表わしている。
 オットー・クレンベラーが指揮したメンデルスゾーンの交響曲第四番イ長調作品90イタリア、その初演がされたのは1833年5月13日、ロンドン、作曲者自身指揮によるものだった。二管編成、弦楽五部そしてティンパニーという当時としては標準的なもの。1960年2月フィルハーモニア管弦楽団により、SAXナンバーの英国コロンビア社のレコードは現在でも流通している。
 イギリスのオーケストラを認識する時、ロンドン・フィルハーモニック、ロンドン交響楽団、フィルハーモニア・オーケストラ・オブ・ロンドン、ロイヤル・フィルハーモニック、BBC交響楽団などなど、歴史、特色ある管弦楽団が目白押しである。フィルハーモニア管弦楽団は、創立時にビーチャムの名前も見え、フルトヴェングラー、カラヤン、クレンペラーのビッグネイムのほかにも、イッサイ・ドブロウエン、オットー・アッカーマンや、アルチェオ・ガリエラなど、モノーラル録音時代の錚々たる指揮者達、レオポルト・ストコフスキーなどはシェラザードの名録音を残すとか、多士済々である。
 ステレオ録音の礎を築いたのがオットー・クレンベラーであることは、誰も依存の無いところであろう。
 クレンペラー録音の一大特色は、左右が第一、第二ヴァイオリンの対話から成立していて、中央に管楽器が広がり、その中心にティンパニーが定位していることだ。このシチュエイションをオーディオ再生の必要十分条件として朝比奈は、予言していたのであろう。左チャンネルに第一と第二ヴァイオリンが居て右チャンネルにコントラバスが配置される音楽は、もはや一時代前のステレオ観なのであって、真髄を確認するLPレコードこそは、我がクリケット・レコードに在庫している。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を聴いていてその演奏を支えるプレーヤー達と独奏者が一体となった集中力に圧倒されて、心を揺り動かされてしまった。作曲者の表現していたロマン派音楽に加えて、ロシア音楽のメランコリーが一杯に溢れた演奏、若く美しい函館出身、岡田奏<カナ>さんの力強い打鍵で繰り広げられた演奏は、函館市民会館満席聴衆のハートをつかんで離さなかった。 Sigeru-kawaiというメーカークレジットのある楽器は、彼女が愛するピアノ。輝かしい音色から、アンコールで演奏された、月の光、充分な集中力で演奏されていて、その音色はフランス印象派作品に相応しく、ドライで玲瓏、冴え冴えとした明るいものだった。
  独奏者のドレス、浅田真央さん風の黒を基調としたシースルータイプ、聴衆に応える笑顔に、客席一杯の老若男女、手を振って応援していた。管弦楽団員達の気力溢れる演奏、管楽器の意欲溢れる演奏、弦楽器プレーヤー入魂の演奏ぶりは、目の当たりにして実に快いものだった。 
 指揮者は広上淳一、ツボにはまった指揮ぶりで、厳しい演奏者たちの輪の中心に居た。楽器配置は、ティンパニー下手配置、ホルンはコントラバス側に配置されていた。序曲ルスランとリュドミーラの軽快なテンポで音楽会は開始され、メインディッシュはチャイコフスキーの交響曲第五番ホ短調、アンコールとしてグリーク、ホルベルク組曲からサラバンド、弦楽合奏が披露された。
 仙台フィルハーモニー管弦楽団は、1973年創立、初代に作曲家芥川也寸志の名前が見える。龍之介の三男であり、彼の音楽性は、DNAとして受け継がれていて、若いコンサートマスターを筆頭に熱気あふれる演奏が鮮明である。コントラバスを響きの土台として、ステージ横一列に連なった響きは、アンサンブルの生命であり、演奏者のプライドを表現していて迫力充分であった。
 コントラバスに目を向けると、首席は、ピッツィカートの時、弦を弾く右手が円を描いて顔に近づける。これは、目にして心打たれる姿だ。パート六人全員が揃うと、鬼に金棒だと思われる。@ 札幌交響楽団、リハーサルしていた時、指揮者岩城宏之は、コントラバス首席に注意力を要求していて、それに対して周りのパート員が集中する指摘をしていたことがあった。管弦楽は、合奏アンサンブルの醍醐味であって、オーケストラメンバーがスタンドブレイに陥る愚を戒めパートがバラバラになる危険に注意を払っていたことが、盤友人には記憶されている。
 ティパニーやシンバルなど、全体を彩る打楽器演奏は緊張感を高めていて、聴いていて実に楽しい。 チャイコフスキーの名曲を聴いていると、いつも、気になることがある。
 それは、楽器配置問題。現在主流のスタイルは、演奏者が慣れ親しんだものであっても作曲家の描くイメージとは、違うということを指摘しておきたい。たとえば、トスカニーニは、徹頭徹尾、ヴァイオリン両翼型を貫いていたことは、意識する必要があることだ。フルトヴェングラーは、第二次大戦後、過去の配置を封印して現在のスタイルの基礎となっている。これは、何を意味しているのか? というと、第一と第二ヴァイオリンを舞台両翼に広げる配置での演奏者の合奏緊張感を解除している状態であって、それ以上の音楽がある配置なのである。すなわち束ねているのは合奏容易なだけであって、コントラバスの土台は、第一ヴァイオリンやチェロの位置的、緊密性を表現する配置であってほしいというもの。それは、指揮者に突き付けられた疑問に他ならない。

歴史を正しく知ることは、必要な態度であって括目して注意を払うのが賢明といえる。
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は、1882年3月26日、ルートヴィヒ・ブレンナー指揮により、第一回演奏会を果たしている。ヨハネス・ブラームスが自作の交響曲第三番を指揮して、第一ピアノ協奏曲ニ短調を自ら演奏したのは1884年1月29日、明治17年に当たる。
 ハンス・フォン・ビューロー指揮による定期演奏会の開始は1887年10月21日のこと。1888年1月23日には、リヒャルト・シュトラウスが演奏会に登場している。1894年2月12日ビューロー死去。1895年10月14日、アルトゥール・ニキッシュ四十歳、コンサート最初の指揮となる。その後ブルックナーの交響曲第五番全曲を取り上げたのは1898年10月24日、ライプツィヒで初演したことのある第七番は1920年になってようやく上演されたのだった。1903年と1904年には第九番が上演されていて、1905年第三番、1906年第八番、1907年第四番、こうして彼はブルックナーを主要なレパートリーとして確立していたのである。
 ニキッシュは一方で、チャイコフスキー交響曲第五番ホ短調を積極的に取り上げて作曲者も彼を高く評価していた。他にもR・シュトラウス、G・マーラーたちの作品を指揮して、最高の演奏を披露。1913年11月に、A・ニキッシュはベートーヴェンの交響曲第五番ハ短調全曲をSP録音していた。1922年1月23日ライプツィヒで、その67年の生涯を閉じた。ニキッシュ追悼演奏会は2月6日のことで、指揮を執ったのは、ウィルヘルム・フルトヴェングラー36歳であった。
 ベートーヴェン第五番を演奏する彼らには、違いがあった。ニキッシュは第一楽章が501小節の楽譜採用を記録していて、フルトヴェングラーは、全休止389小節目ありの502小節を採用している。 音楽には、間が重要であるという認識からすると、フルトヴェングラー採用の楽譜が以後の指揮者にとって支持されているのは、理解が容易である。ところが、ニキッシュの採用している音楽は、作曲が完全の記録であって、日本人作曲家でニキッシュ高弟の山田耕筰も踏襲している史実はSP 録音ではあるけれど、忘れられてはならない記録であろう。
 間が大事とはいえ、間違いという言葉もある通り、ベートーヴェンの音楽が簡単にスルーされているのは現在であって、これからは山田採用の楽譜を検証することが必要なことであろう。NHK交響楽団前身の、新交響楽団が採用していたからである。2016年10月22日土曜日、NHK-FM放送でオンエアされていたSP録音には501小節で389小節目全休止の無い演奏であったのだ。
 SP録音を、オーディオ的にクリアな音質で再生すると、かの間が無い音楽が姿を現す。ただしB氏は123と124小節目に確実に間を設定している。だから、間にも二種類があって、作曲家のものと、第三者によるものと、識別を働かせるのが、オーディオ愛的聴き方というものである。
 盤友人はレコードプレーヤー、EMT927に、初期型のアーム、RM297を搭載する事にあい成った。チャンネルセパレイション分離が、さらに鮮明となって第二ヴァイオリンが右スピーカーから聞こえる演奏が、一段と説得力をアップした。それはそれで、B氏ハ短調交響曲を鑑賞する、聴き方の必要十分条件といえる。 
 ヴァイオリン・ダブルウィングこそ、オーディオ愛に応えているのだろう。 

人はよく、音楽は生が良いよねと話す。盤友人にとって、つまらない音楽を聴かされるくらいなら、スピーカーに対面してLPレコードを再生している時間のほうが、愉快である。 
 それは、音楽ソースにもよるわけだが、名演奏は、名録音に限らず、幅は広いといえるだろう。
 グランドピアノは、意外と歴史が新しくて、ベートーヴェンの中期、ソナタ第21番ハ長調作品53 ワルトシュタイン、作曲されたのは、1804年でピアノ製作者から要請を受けている。音域は拡大されて現代のものに近く、楽器は88鍵が標準で、最低音27,50ヘルツでAラの音だ。中央音域のラは440ヘルツで、最高音5点Cハは、4186,01ヘルツ。オーケストラの実音で、1点ラは442ヘルツを標準としていて、チューニングはオーボエが基本になっている。ちなみに、赤ちゃんの泣き声というのが440ヘルツ周辺といわれていて、正確には、女声低音アルトの音域にあたり、男声は220ヘルツaラの音周辺に相当する。オイロダインで、500ヘルツカットというのは、ウーファーが再生する音域に相当する。なお、コントラバスからピッコロまでがオーケストラの音域だとすると、グランドピアノの方が、それは広いといえる。  
 ギターは、小さなオーケストラ、といわれていて、古代のキターラに起源をもつ。図像資料としては13世紀にまでさかのぼり、16世紀のレパートリーは、バロック・リュートに準ずる。18-19世紀には、ソル、ジュリアーニ、タレガなど作曲家の名前が見える。20世紀には、セゴビア、イエペス、ブリームなど、名演奏家のビッグネイムが連なる。
 2017年10月09日、江別えぽあホールに、英国人奏者デイヴィッド・ラッセルが登場する。えべつ楽友協会が招へいして企画され、スカルラッティ、タレガなどの作品がラインナップ。翌日には、マスタークラスが実施されて、70名ほどの収容、リハーサル室で行われる。えぽあホールは20年前に創建されていて、443席の中ホール。パンフレットには、クラシックギター界の最高峰、待望の北海道初公演実現とある。
 オーディオ・ファンにとって、実際のリサイタルを経験せずして、スピーカーを再生することは、ナンセンス、それは、登山を経験せずして、風景写真を論ずるに相当する。運動を経験して初めて、登山の愉しみを経験するのであって、スピーカーを聴くことは音楽のリサイタルを経験せずして、音楽を語れないのと同じことである。
 SPスタンダード・プレイの録音は、エンリコ・カルーソーの名演奏を記録することに、出発点があったのは象徴的といえるだろう。それは、声の記録のみではあらず、音楽の記録であったことを認識しなければ片手落ち、オーディオの本道とはいえないのと同じことである。
 舞台、ステージを前にしてギター奏者の音楽を聴くことは、そのわくわく感こそ、貴重なのである。 それが、原点であって、音楽鑑賞経験の上で、スピーカーの再生に集中することこそオーディオの醍醐味。客席に居て、ホールの空間を自覚し、ステージの演奏に耳を傾ける経験、それこそがオーディオの目的、えぽあホールでのリサイタルは、今から待ち遠しい。北海道のギターファンのみならず、オーディオファンを自認する全国の音楽ファンに、このギターリサイタル、絶好の機会となることであろうことを盤友人は、お薦めする次第である。



オーディオの世界は、奥が深い。ラインをつなげて音は出るものの、それが果たして十全のものなのか? 疑うのが必要な態度ではあるまいかと思われる。つい先日も知人のシステム、適当なアドバイスをし、手を加えて以前とは異なった音楽を鑑賞することが出来た。彼は、知らないことは恐ろしい、と感想を語っていたのである。 
 よくある景色に、スピーカーの間にアンプやプレーヤーが挟まれていたり、スピーカーの上に絵皿や置物を載せていて、平気である。果たして、良い音が出ていないことに気が付いていない。  
 ①  スピーカーは、楽器であり、ものを載せることは、まかりならないことである。
 ②  その中央には空間が必要であり、工夫してセンターの音像を確保する努力をする。
 ③  アンプの受け口とするコンセントは使用せずに、壁のコンセントで1 1のホット側を確認してプラグを差し込む。通常は右側がプラスであることが多いので、プラグのチェックをし規格がわかる方を上にして差し込む。 くれぐれも、スピーカーの周囲に空間を確保して、壁から少し前に出すと、低音域が豊かになり、中央に置いているプレーヤー類を少し前に出して、後ろにスピーカー、中央の音像を確保すると、それまでとは別世界のスピーカーの鳴りが、楽しめることになる。音は楽しい、ということでもって、音楽の生命感が再生されることになるのである。  
 よく言われる名曲の一つに、新世界がある。正確には、新世界から、という訳が相応しいのだが、新世界、と略称で通用する。アントニン・ドボルジャーク、彼はブラームスの音楽に憧れていて、国民楽派の作曲家、大きく言ってロマン派の世界に属する。そしてアメリカに招かれ、やがて帰郷する際に作曲された名曲、カーネギーホールで1893年12月16日に初演された。1889年2月17日には、パリで、セザール・フランクの交響曲ニ短調が初演されている。共通しているのは、第二楽章冒頭でコールアングレ、イングリッシュホルンというダブルリードの低音木管楽器による独奏があることだ。これは、何を意味するのかというと、それまでの交響曲での使用楽器の拡張にあり、 フランクの時は、あまり聴衆の共感を得られなかったのに、ドボルジャークは成功したであろうといえるのである。いわゆる、家路、というネーミンクで有名な音楽は当時から受け入れられたであろうことは、想像するに容易だ。使用楽器は、第二楽章にだけチューバが使用されたり、第四楽章に一度だけシンバルが鳴らされたり、とする彼の工夫は、先人のアイディアを取り入れた音楽になっている。第三楽章でトライアングルが活躍するのは、ブラームスの第四交響曲と同じ音楽である。これらの楽器の色彩感は、オーディオの醍醐味を、試されるといえよう。 
 コンスタンティン・シルヴェストリー1913.5/13~1969.2/23ルーマニアからイギリスに帰化した指揮者が1956年10月にパリで録音された新世界からは、記念碑的な音楽に仕上がっている。右スピーカーには低音域があって、左スピーカーには、第一、第二ヴァイオリン、ホルンが聞こえてくる。これは、その当時のステレオ観によるものでありほほえましいものだが、スタンダードとして、現在の手本になっているともいえる。それはそれとして楽しいのだが、第一と第二ヴァイオリンが左右に開いた録音を待望するのは、盤友人の音楽観であって、笑って許して・・・

近代史において、指揮者という存在は何時の頃にさかのぼることが出来るだろうか? 
 だいたい、作曲家ベートーヴェンの初演コンサートにエピソードが有名なことは記憶させても良いことだろう。たとえば、第九交響曲の演奏終了後にアルト歌手が彼をサポートして、聴衆の熱狂する様子に対して振り返らせたこと、聴覚障害をもったB氏にとってコンサートマスターの存在の上にも指揮をとった彼が居たということが指揮者の存在の証明だっただろうが、その歴史はそのころ以前から始まっていたことは確かであろう。シュポーア、ウェーバーなど、作曲家自体の指揮が、管弦楽団の指揮者を必要としたということでもある。
 ワーグナーの時代のころ、ハンス・フォン・ビューローとか、ハンス・リヒターといった指揮者たちの活躍は、近代史における指揮者としての専門家といえるかもしれない。それは、江戸時代末期から明治維新の時代とオーヴァーラップするのは、興味深い事実である。坂本龍馬の登場した時代と期を一にするのであろうか ?
 1886年1月26日、ベルリンに生まれた洗礼名、グスタフ・ハインリヒ・エルネスト・マルティン・ウィルヘルム、彼は幼児期をバイエルン州南部、テーゲルン湖に突きだした半島の町に過ごした。考古学者を父に持ち、家庭教師に育てられ、作曲にもその才能を発揮していたと伝記に書かれているのはさらに興味深い。十九歳、彼はブレスラウ現在のヴロツワフの歌劇場が、最初の音楽家としての経歴に当たる。トスカニーニはすでに指揮者として活躍を始めていたし、1889年には日本帝国憲法発布といった時代でもある。1906年には、ミュンヘンで指揮者デビューを果たしていた。 フルトヴェングラー最初のSP録音は、1926年、ベートーヴェン交響曲第五番ハ短調、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督、アルトゥール・ニキッシュに続く指揮者であったというのは、画期的な、特筆すべきキャリアである。 
 1947年から1954年にかけてRIAS自由ベルリン放送協会収録、演奏オリジナルテープ全てが、すでにアウディテからリリースされていたものだが、このたび、ドイツプレスによるLPレコード14枚で初回限定販売される運びとなった。 
 高速マスターテープによる、新しいプレス、その音質に期待が寄せられる。 
 フルトヴェングラーの指揮芸術を語るとき、セッションによるものとは異なり、演奏会そのものの録音というのは、忘れてはならない事実なのであり、現代のコンパクト・ティスク録音リリースの手本になっているともいえるのだろう。迫真の録音でありその上、入魂の演奏となるのは、余人に真似できないということは、笑えない事実であり、空前絶後の演奏記録は、LPレコードにまったく相応わしい。レコードに針を落とす、と一般人は語るのだが、盤友人は、針を下(お)ろすというのは、その時の緊張感を表現したいからである。落とすのは、無神経極まりなく、その微妙な意味は、あたかも厳かな儀式を表現するまでであり、フルトヴェングラーの時、落としては、傷がつくというもの、多分、共感される言葉ではないだろうか ? これくらい、微妙な法悦至福のひと時の開始である。ワーグナー、トリスタンとイゾルデ前奏曲、愛の死は、聴くものまで影響する指揮芸術記録の再生儀式といえるのだろう。これから、芸術の秋、夜の愉しみはこれから・・・

1812年頃ベートーヴェンはボヘミアの避暑地テペリッツェにて、文豪ゲーテと直接会っていたいたらしい。彼が四十一歳で、文豪は六十三歳。聴覚障害に悩まされていたにも関わらず、B氏は不滅の愛人、声楽家アマリエ・ゼーバルトと生活を共にし、彼女は耳の遠い病床の作曲家を世話し献身的に尽くしていたとも云われている。ウィーンとワイマール、遠く離れていたゲーテと彼の日記に拠れば七月二十日から二週間ほど、一緒に散歩したり作品を演奏した折もあったとある。 
 タータタ、タータタ、タータタ、タータタ、ターーーー、というリズム、管弦楽の全員が音楽を刻むとき、聴いている者まで魂を揺さぶられる壮大な音楽と、あいなる仕掛けだ。 
 1956年、フィルハーモニア・オーケストラ・オブ・ロンドンは、イタリア人指揮者で弱冠三十六歳のグィド・カンテッリ、トスカニーニをして私のように指揮をする若者と称賛していたほど将来を嘱望されていた音楽家を迎えてレコーディングを敢行していた。EMIによる初期のステレオ録音でありながら、空前絶後の演奏内容であり、ASD番号初期プレスLPレコードは世界遺産の一つとさえ断言して憚らないものである。
 ステレオ録音の基本は、左右と中央にそれぞれ楽器が定位、ローカリゼーションというステレオ感を与える録音である。モノーラル録音が楽器とマイクロフォンとの距離感を表現するのと比較して、定位とは、舞台上での楽器配置を表現して、演奏空間を想起させるほどの力がある。左右のみならず、中央に存在感が生起するから、二次元、その上さらに、奥行きという距離感からいわば三次元の世界が展開するのだ。上下という感覚とは異なるから、正確ではありえないがその空間感覚さえ想起させるものなのである。
 舞台上に展開するオーケストラの楽器配置は、音を聴かせるのみならず、その方向感から、作曲家にあるイメージ空間を、指揮者が設定するのは、イロハのイとも云えるだろう。そこのところを、ステレオ録音の歴史を鳥瞰するとき、不幸な歴史をたどっていたといえるだろう。すなわち、第一と第二ヴァイオリンが並ばされたところで、管弦楽の演奏ハードルは下がり、合奏自体の容易さは演奏者たちは獲得したといえるのだが、そのことにより、作曲家の意図は、ネグレクト無視され、その音楽は破壊されていたということが出来よう。 
 交響曲第七番イ長調作品92は、第二楽章アレグレット、快速にアレグロよりややゆっくりと、という速度指定を持つ。不滅のアレグレットとも呼ばれ、ワーグナーをして、舞踏の神化と言わしめた音楽。それは、タータタ、タータタという舞曲ダンスのリズムを徹頭徹尾採用した音楽で深遠な境地を作曲したことによる。弦楽器は第一Vnの奥にチェロ、コントラバスが存在することにより、旋律とリズムの刻みが緊密にアンサンブル合奏され、それに呼応するかのように第二Vn、その奥にアルト=ヴィオラが配置されて、作曲家の世界は成立する。ヴァイオリン・ダブルウィング両翼配置という言葉を、一時期、封印されていた歴史から脱却して、現在のファッションになりつつあるといえるだろう。ホルン首席奏者デニス・ブレインが演奏していたこの音楽は、管弦打楽器の全員が、音楽の歓びを湛えていて奇跡的な録音といえるのだが、この録音から時を経ずして、カンテッリの飛行機事故、翌年デニスの自動車事故という悲劇が相次いだことは、実際、胸を痛める・・・

  シーメンス社製フィールド型オイロダインと出会い、23年が経過した。ようやくシステムに見合うステレオ録音、ベートーヴェン交響曲全集を再生できた気がする。サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のレコードをキング・インターナショナルがリリース。弦楽器古典配置による2015年10月ライヴ録音。 
 それ以前は、タンノイ社製オートグラフ、モニター・ゴールドユニット入りオリジナル・エンクロージャーを使用していた。どこが違うのかというと、それは箱全体を鳴らす思想で、オイロダインは後面開放型で使用されていて、元々はシアタータイプ、ユニットから楽器の倍音を聴かせるという発想による。ステレオ録音によると、定位ローカリゼイション、楽器を拾い採るマイクロフォンでステージ上の位置感覚を、再生するという思想である。左スピーカー、中央、そして右スピーカーという音場感を醸成するから、作曲家のイメージする楽器配置を体感することになるのである。 
  ステレオ録音初期には、左チャンネルから高音域、そして右チャンネルへ低音域と展開するものが前提となり、そのようにオーケストラの楽器配置は設定され、そのように再生を目指していたのである。ところが時代は進み、1945年を境としてドイツ式古典配置はタブー視、忌避されて管弦楽の全体配置は解体され、その上で演奏が展開していて有体に言うと、左からヴァイオリン、右からはコントラバスという配置が前提とされてオーケストラ・シーンは展開していたのであるが、ここに来て、その封印は解かれたLPレコードが流通され出したのだ。それがベルリン・フィルによるB 氏交響曲全集。つまり、作曲家が前提とした楽器配置による音楽が再生される時代が到来したといえる。それこそ革命的なことなのである。 
 そのレコード全集から、4、5、6番を聴いた。第四番で音楽の開始、高音域弦楽器のピッチカートと同時、少し早くにコントラバスの低音域が立ち上がる、この瞬間にゾクゾクさせられてしまう。それは、左スピーカー、第一ヴァイオリンの奥に、バスが配置されているからこその効果である。その上で、右スピーカーでは、第二ヴァイオリン、アルト=ヴィオラの演奏が定位する。こう聞こえる前提でB氏は作曲に腕をふるい、演奏者はそれを提供するという図式が成り立ったのだ。
 木管楽器奏者たちは、みな、耳が良くて腕達者ぞろい、弦楽器奏者の音楽に合わせて吹奏し、フルートやクラリネットの合わせも音程がピタリで、バランスも最適、絶妙の演奏を披露している。 ティンパニーの刺激的なクレッシェンドを的確に再生するとあの音質は、ライナー・ゼーガース氏によるものなのか?という気になる。彼は、七月に札幌キタラホールに登場して、そのヨハン・シュトラウスを思わせる風貌を見せてくれていたのである。PMF国際教育音楽祭で、若者たちの中に混じり、ベルリオーズ、序曲海賊を暗譜で演奏していて、抜群の存在感を発揮していたものだった。レコードでは、第五交響曲もかくやと思わせているし、それはハイドン古典派音楽的構成感を表現し、オイロダインは、田園交響曲をロマン派の音楽的解釈、第二楽章で弦楽器が弱音器を使用した演奏を、そのように再生する。まさにベルリン・フィルハーモニーの演奏を得て、初めて体感する世界である。ベートーヴェン本来の楽器配置は採用され、再生されることになったというのは、極上、否、管楽器配置もそれを追求されることにより実現されるものなのであろう。

音楽は、もはや不必要な芸術ではないか?というショッキングな評論を手に取ったのは、昭和44年、盤友人が高校生で東京修学旅行の折に御茶ノ水で購入した一冊、芸術現代論、劇作家山崎正和の一文だった。 
  これは、現代の作品、コンテンポラリー音楽に対する批評であって、何も、音楽に対するのではなく、現代音楽に対する辛辣な一言である。たしかに、近代音楽のシェーンベルグらによる、十二音音楽の展開は、調性の不採用であって、音楽は袋小路に入った印象を否定することはむつかしい。その後に、アメリカでは、ジョン・ケージが現れて、<四分三十三秒>というピアニストが楽器を前にして、何も弾かない<作品>を発表し、盤友人はそれをTV番組、題名のない音楽会で視聴した。司会は、作曲家黛敏郎。作品の趣旨は、ピアニストが楽器を前にした時、聞こえるあらゆるものが音楽である、ということだった。摂氏-273.15度、華氏零度という数値と奇妙にも一致するのだが、さもありなん、これは音楽に対する概念の改革であって、音楽観の再構築と言い換えることが出来るだろう。これを音楽の袋小路ということは、あながち、誤りともいえないであろう。行きつくところまで、到達したといえるであろう。ただし、再生の可能性は折り返しなのだから、無くなったわけではあるまい。だから、音楽はもはや、不必要な芸術ではないかという警句は、必要な評論ともいえる。逆説なのであって、コンテンポラリー同世代音楽作曲家の宿命を言い得て、妙である。奇妙ではないということだ。   
 フランス・バロック音楽の精華、ラモー作曲の鍵盤楽器作品をマルセル・メイエルの<演奏>で聴くというか、ディスコフィル・フランセDF98-99で再生する。 
 システムは、アンプが、V69からPX4へ移行し、モノーラルカートリッジをオルトフォンAタイプ針圧8グラムのものにとグレードアップを図った。四月には、スピーカー・オイロダインの調整を済ませていて、劇的なシステム・アップを経験したことになる。その上で、カートリッジの本命ともいえる黒ツノの入手であった。相乗効果は、モノーラルLPレコードの再生で、不足がなくなったことである。スピーカー、オイロダインは2ウエイだから、目の前にドライバーとウーファーの二対が存在しながら、それを意識させない音像の広がり感である。メイエルの弾くスタインウエイを録音技師アンドレ・シャルランは拾い採り。ピックアップ、針を下すと黒ツノは作動して、鮮明かつ圧力感、実態のある演奏が再生される。ラモー1683-1764作曲、鍵盤音楽のための曲集、グランドピアノで弾かれた極上の音楽は、それがオリジナルがクラブサン、チェンバロのためのものであったにせよ、メイエルは、なんの外連味もない演奏で披露する。両面で六十分、たっぷり二枚で、聴いていて時間を忘れるほどの名演奏名録音ディスク。時間の芸術、記録音楽を再生する喜びの有頂天を経験する。  
 ディスクの価格は、フランス料理フルコースともいえるほどゼロ四個円、その前に数字が来るのだがそれ位の価値はあるというもので、室温29度、湿度48パーセント、満月前夜の晴天、最高のコンディション、今、台風五号は近畿地方を北東に進行していて・・・・・

ニュースでは最高気温が37度を超えるなど、連日の猛暑を伝えている。 
 お盆を迎えて交通渋滞の予報すら伝えられるこの頃、いかにもつらい毎日、反面、家族の再会など明るい話題にかかない夏休み時でもある。そんな中、お盆に考えてみた。  
 無人島に持っていく一枚のレコード、確か、グレン・グールドはシベリウス交響曲第五番、カラヤン指揮するベルリン・フィルを挙げていたのを記憶している。だいたい、無人島でレコードを聴けるかどうか疑問ではあるのだが、ソーラーパネル発電の発達など、今や、不可能なことではないのだろう。それこそ無粋な話で、無人島でレコードを聴くとしたら?というまでである。そこで、お盆を迎えた八月での一枚はハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮した北ドイツ放送交響楽団ハンブルク、1968年10月28日ライヴ録音、ブルックナー交響曲第七番にしようと思う。 
 ある知人など、開始の曲想は旅行に出るために乗り込んで飛行機が、離陸する時の音楽にふさわしいと語っていたことがある。ホ長調、ハース版使用とある。ノヴァーク版と違うのはクライマックスの構築で使用する打楽器が一部異なり原典版に近いといわれるもの。  
 第二楽章アダージオ、とても荘厳に、そしてとてもゆっくりと、嬰ハ短調4/4拍子  
 ここで、音楽は悲しみを湛えた葬送の音楽ともいうべき逝ける人を追悼するものになっている。シューベルトは尊敬したベートーヴェンを追慕して、即興曲作品142をものしていると考えられるのだが、ブルックナーはこれを作曲当時、ワーグナーの訃報を受けとっていた。ワーグナーチューバという吹奏低音楽器のアンサンブルをお仕舞いに付け加えて、大編成オーケストラ曲をさらに拡大する後期ロマン派の特色をいかんなく発揮している。二十分超える楽章のクライマックスに悲痛な楽想を展開して、追悼の音楽を完成している。  
 1945年10月、シュミット=イッセルシュテット氏が45歳で新しいオーケストラ、NDR交響楽団ハンブルクを組織して最初のコンサートを開催、彼は戦後、新しい時代をきり拓く期待された指揮者であった。紹介された写真によると、弦楽器配置では、ヴァイオリンとチェロを両翼に展開するタイプ、二十世紀主流となった第一と第二ヴァイオリンを束ねたもの。これは、戦前のドイツ音楽を封印したもので、歴史的展開として理解できるもので、それがステレオ・ライヴ録音としてLPレコードがリリースされた。コピーライト2017年とある。販売元、株・キングインターナショナル。演奏の特色は、輝かしくなおかつ重厚な弦楽器の音色、軽快なブラスアンサンブルの演奏・・・
 これは、指揮者と管弦楽団が一体となった記録として貴重、稀有な一枚である。当然の結果というより、苦難、二十年余りの歴史を克服した勝利のレコードといえるだろう。1967年1月7日には、先達の指揮者カール・シューリヒトの訃報がある。直接の関連性を証明するものはもちろん無いのだが、86歳の天寿を全うした指揮者へ追悼する演奏として、その想いはひしひしと伝わってくる記録にほかならない。お盆、無人島で聴く一枚、極上のレコードといわずして、憚らないものである。オイロダインを聞いてみたい、果たさずして初盆を迎えた同い年のFさんの無念を思う・・・・・

音楽は、時間の芸術、その歴史的変遷を正確に受け止めることは必要であるばかりでなく、いっそう愉しむ態度でもある。詳しくではなく、正しくということは、大まかな理解が第一歩だ。
現代音楽というのは、正確に言うと、コンテンポラリー、同世代の音楽。それ以前をモダン、いわゆる近代音楽になる。二十世紀を境として、その近くに印象主義という絵画の世界に連動した音楽があり、その前が後期ロマン派、それをさかのぼると、ロマン派、そして古典主義いわゆるクラシックという音楽がある。ざっくり、それ以前に十六~十七世紀のバロック音楽があり、さらにさかのぼると、ルネッサンス期十四~十六、文芸復興の音楽へとつらなる。
  
 ラッソ、モンテヴェルディ(ルネッサンス期の音楽) 
 スカルラッティ伊ヴィヴァルディ伊ラモー仏バッハ独ヘンデル独 -英(バロック音楽) 
 ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン(古典派音楽) 
 シューベルト、シューマン、ショパン、リスト、メンデルスゾーン、ワーグナー、     
 ブラームス、チャイコフスキー、ドボルジャーク(ロマン派音楽) 
 スメタナ、コダーイ、バルトーク、シベリウス(国民派音楽) 
 ブルックナー、マーラー、リヒルト・シュトラウス(後期ロマン派音楽) 
 ドビュッスィー、ラヴェル、ファリャ(印象派音楽) 
 ストラヴィンスキー、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルン、サティー、 ミヨー、 
 プロコフィエフ、ハチャトウリアン、ショスターコーヴィチ、バーバー(近代音楽) 
 メスィアン仏ブーレーズ仏ケージ米、武満徹ユン・イサン韓タンドゥン中(現代音楽) 

 ヨハンナ・マルツィ(1924.10.26ティミショアラ、ルーマニア~1979.8.13チューリヒ、スイス)。イェネー・フバーイ門下、リスト音楽院出身、ヴィヴラートに特徴があり生命力のある演奏が特色で、1947年には、ジュネーブ国際コンクールで最高位、1位なしの第二位を獲得。 
 EMI、DGなどにモノーラル録音、レコードを多数残している。 ピアニスト、ジャン・アントニエッティとの演奏で、ラヴェル作曲ガブリエル・フォーレによる子守歌、ハバネラ形式による小品、ダリウス・ミヨー作曲イパネマ、これは、バーバリズム野蛮主義ともいえるリズムに特徴のある音楽、ファリア作曲スペイン舞曲、そしてカロル・シマノフスキー作曲、小夜曲とタランテラ作品28-1、2静かな音楽と律動的な音楽を対比的に演奏する。両面で30分ほどの演奏時間で、なぜか良い録音のモノーラル盤。
 ヴァイオリンの音色が、古典派とロマン派音楽の後にくる近代音楽において、その可能性が色彩的に拡大されて、湿り気のある輝きというか、夜色に光るヴァイオリンの輝き、ヴィオロンの・・・という感覚がぴったりしている。それもそのはず、ジャン・アントニエッティのピアノが、深くて、渋くて、量感たっぷりの落ち着いた音楽、ミヨーの骨太のリズムも、決して、違和感のない音楽に仕上がっている。マルツィの音楽の一面を語るにふさわしい1枚。

愛は悲なり、とは大学生の時に出会った言葉で、慈愛、慈悲ともにいつくしむ心というほどの意味。 ガブリエル・フォーレの一音を耳にした時、学生時分の当時にタイムスリップする。これは、正に音楽による洗礼である。   
 人は、悲しみが多いほど、人には、優しくなれるものだから・・・はやり歌にあるがごとく、エレジー悲歌、哀歌の音楽に出会うのは、悲しみの共有であり、演奏家に対するリスペクト尊敬の念の経験と作曲家に対する共感の念の発露となる。    A・レヴィの音色は、現代の演奏家には失われた世界であり、それは、レコードを再生する喜びにほかならない。それほどまでに、CDではなくLPの世界に遊ぶ価値はあり、と云える。スピーカーの鳴り方が別物なのである。23日にふれあいチャリティーコンサートで、フィンランド民俗楽器カンテレの音色を愉しむ経験を持った。それはそれは、妙なる音色、小さな音量でも、だからこそ人の心に迫る音楽を奏でていた。演奏家あら ひろこ小樽在住のしっかりした音楽に、時のたつのを、心行くまで楽しんだことであった。決して忘れることのできない一時となったのである。楽器の39弦を両手でかき鳴らし、そのカトリック教会礼拝堂に居合わせた人たちは、みな幸福に包まれていた。  
 レコード音楽再生の喜びは、正に、音楽との出会いであって、単なる情報の所有を超えたところにある。だから、その日のひろこの音楽、レコードによる鑑賞レヴィの音楽、ともに盤友人にとって音楽の経験による美の共有といえる。ゲーテの格言、人生は注意だ、有用なものから真を通して、美へ・・・というものがある。その価値は、知にあらず、情にあると言い換えることが出来るだろう。 
 文章は千古の事、得失は寸心の知とは、中国先人の詞。 
 哲学、文学は、知の世界であり、芸術はそれとは異なる、感覚の世界だろう。ということは、時間の過ごし方として、知に遊ぶのも良し、情に遊ぶのはさらに良しというものである。人生は短く、芸術は長し、とは、けだし名言、盤友人は人の世の無常を、つよく感じる。 
 ブラームスのチェロソナタ第一番は、ロマン派の音楽、ということは、先にベートーヴェンによる五曲のソナタがあって、その後、半世紀ほどして作曲された音楽ともいえるのだが、演奏の録音は,1961年5月、立派なモノーラル録音でチェロの音色を再生して充分に伝わる、滋味あふれる音楽である。彼のバッハ無伴奏チェロ組曲セットLPは、100~200万円の相場で取引されているという。パブロ・カザルスより次の世代で1894~1982年の生涯に、演奏録音は希少である。彼の音色は、多少、音程の不確かなところもあるにはあるけれど、それは、ガット弦だからであって、なんの遜色もない。それより、音楽を共有する聴衆の拍手に、迫真の芸術を記録証明することになっている。一瞬、その場に居合わせたかの錯覚に陥る、というか芸術享受の喜びの時間といえるのではなかろうか?彼の記録は、不滅、希少、滋味という三拍子そろった名盤である。フォーレと、ドビュッスィのソナタなど1958年6月のパリ録音、貴重なクレジット。

以前、知人のヴァイオリニストに、楽器の演奏で大事なのは左手と右手のどちらか?と質問したことがある。 
 盤友人は手にしたことが無く、聴くだけだったので、さぞや左手ポジションで音程の取り方とか、ヴィヴラートの掛け方等かな?と予想していたのである。彼は即座に、右手!というものだった。つまり、ヴァイオリニストにとって音を出す生命は、弓を操る右手である、というのだ。 
 日本には、知られざる名ヴァイオリニスト、渡辺茂夫(1942~99)がいる。彼はハイフェッツに才能を見出され渡米して、ジュリアード音楽院に学び、しかし演奏家としてのキャリアはわずか17歳くらいで閉じられた悲劇の演奏家だった。モーツァルトの再来とまで評価されるなど才能に溢れていたけれど決して恵まれた運命ではなかった。彼を育てた叔父の季夫さんが語っていた茂夫の幼い時は、とにかく、ロングトーンを朝から晩まで明け暮れていたというものがある。すなわち、彼のスタートは、弓遣いの訓練に集中していたのである。その上で、作曲法を学習していて楽譜の読み込みがきちんと身についていて、室内楽曲などアンサンブルは初見でこなせる演奏家だったということで、神童と言われたゆえんである。「まるでモーツァルト」というのは、一緒にアンサンブル演奏した人の言葉である。 
 ヨーゼフ・ハッシド1923~50はポーランドに生まれ、17歳でSP録音四枚、八面の録音しか残されていない演奏家。復刻モノーラルLPレコードで鑑賞できる。1940年に精神を病んで入院、手術したことが原因で生命を絶たれた悲運の天才。  
 アビーロード第3スタジオ、ピアニストで当時40歳のジェラルド・ムーアと共演を果たしている。プロデューサーは、ウォルター・レッグ。 
 コンサートでは、チャイコフスキー、ブラームスの協奏曲を演奏、1935年、ヴィニャエフスキー国際コンクールでは、演奏時記憶欠落もあり入賞はしていなかったという経歴の持ち主。その時のグランプリはジネット・ヌヴーだった。 
 モノーラルLPレコードで復刻録音を鑑賞できるのは、レコードコレクターにとって、わずかな幸運である。この一枚を所有しているか、いないかで、その人の収集キャリアを物語る、というものだろう。それほど貴重な復刻レコード。輝かしい音色、幸福感の豊かなムーアのピアノ音楽の再生に出会ったとき、鑑賞者は音楽のなんたるか!を思い知らされることになる。 
 ドボルジャークのユーモレスク、チャイコフスキーのメロディー、サラサーテ、マスネー、アクロンのヘブライの旋律、クライスラーのウィーン奇想曲、そしてエルガーの気まぐれ女など、テクニックの冴えのみにとどまらず、ピアノとの極上アンサンブルを経験する。
 本当に、彼がもっと演奏活動を続けることができたなら・・・と思わされることは、盤友人だけの思いではないだろう。これっきり、これっきりもう、これっきりですか?スピーカーにそう問いかける、哀しいことであるけれど、レコードを再生することが出来るのはこの上ない幸せなことなのだ。彼の人生はそれまでの努力があり、天才とは努力する才能の持ち主のことであるという至言!